週刊柏﨑 第674回_日本、大丈夫か?
今年も残すところ2週間と、最終コーナーを回ってゴール迄あと少しという処であります。
今週に入って毎日が一気に寒くなりました。
巷ではやれインフルエンザだノロだと大流行のようです。
先週末、小学生の頃所属していた学童少年野球のチーム「オール葵ジュニア」の恒例のOB会に出席する為に京都に里帰りしていた息子がいきなり39度近い熱を出しまして、インフルエンザかと、薬剤師試験を控えている娘と年末の集中オンエアーを控えている私は、相当ビビりましたが、毎日クロワールを摂って免疫力をつけているので、大事には至らず、改めてクロワールの有難さを知った次第であります。
(息子はインフルエンザではなかったです)年内のQVCさんでのオンエアーの予定は、18日に2回、プレニアムクロワールアイのベストセラーの特別セットを、そして26日と29日にクロワールコートの増量セットをご紹介します。
オンエアーの合間に千代一西田さんやパピリオ稲田さん、作品滝野順氏と忘年会が入っていますし、大学や証券マン時代の友人との飲み会もあります。
身体に気を付けて乗り切ります。
毎年恒例の「今年を表す漢字一文字」でありますが、私も第一候補に挙げていた「金」でありました。
まあ、リオオリンピックの金メダル、ピコ太郎の金ぴかの衣装、都知事の政治資金問題と一番こじつけ易いという処でしょうか。
ただ、「金」については実は2000年のシドニー、2012年のロンドンに続き最多の3回目の選出でありまして、もうちょっと工夫が必要ですな。
さて、皆さん、お変わりなくお過ごしでしょうか。
先日、机の整理をしていたら証券マン時代の香港オフィスで撮った写真が出てきました。
多分1989年のバブル時代の写真であると思うですが、若いです。
それに髪の毛はいっぱいあるし、兎に角細い、今見ても中々カッコいいです。
まだまだ希望に燃えていた頃でありまして、毎日本当に一生懸命働いていました。
そして、会社が終われば、毎晩のように明け方まで飲み歩いていまして、良く体が続いていたなと、まあそれ位当時は充実していたし、私が一番輝いていたといってもいい時であったと思います。
東南アジア限定でありましたが、毎月のように外国を飛び回っていました。
相場次第で天国にも地獄でも味わえる証券界でありますが、私みたいな人間にはとっても合った世界でありましたな。
あれから27年、筆舌では表せない位の波乱万丈の人生でありました。
今でこそ、弱小ながらも会社を経営させて頂いていますが、ここまでなんとかやってこれたのは、私の周りにいる様々な友人、家族、お客様であったと思っています。
確かに悪運は強いと感じていますが、それだけ周りの人に恵まれているということでしょう。
まあ、私も含めて誰でも年末になるとそれなりに感傷的になるものであります。
そして新年に向かって新たな思いとか目標を立てるのですが、毎年なんとなくその年が終わって、新年を迎えますが何にも変わりませんね。
日本人の場合正月特に元旦というのは、特別な思い入れがあります。
ただ、過ぎてしまえばそれは365分の1日でありまして、いつもと同じように時間が経過していくのです。
さて、先日娘と話していたら、日本という国はトンデモナイことになっているのですね。
例えば二宮金次郎のお馴染みの銅像、あの薪を背負いながら勉学に励むという我々の年代だったら誰しも一度は見たことが有る銅像であります。
あの二宮金次郎の姿が、歩きスマホしているのと見間違い、まるで歩きスマホを助長するようだと、どこからかクレームが入り、それを受けて薪を下ろして、座って本を読んでいる銅像を造ったと言うのです。
まあ、文句を言ってくる人も言ってくる人ですが、それを真に受ける自治体も自治体でありますな。
あと、大晦日から元旦になった時に突かれる「除夜の鐘」ですが、全国の寺院からこの「除夜の鐘」が姿を消しているのだそうです。
理由は「うるさいから」こうなると日本の伝統的行事も何もあったものではありません。
当然、お祭りや、盆踊りも騒音対象です。
盆踊りの最新版は踊り手がイヤホーンを付けて静まり返った中、踊ると言うもの、知らない人が見たら、不気味であります。
節分の豆まきも、子供の眼や鼻に入いるかも知れないということで、新聞紙を丸めた紙製の球に変貌です。
私が子供の時に、「福は内、鬼は外」と豆を撒き、年の数だけ豆を食べるという行事が、豆が当たると危ないと言う理由で変わってしまう、そこには日本の伝統文化はありません。
何年か前に、この頃の運動会から騎馬戦や棒倒し、組体操のような少し危険が伴う競技が無くなったことに、これも時代だなとそれなりの理解を示していたのですが、今はパン食い競争が衛生面と食べ物を大切にしていないという理由で無くなったと言う話をききました。
それと思わずのけ反ってしまったのが、徒競走は最下位になった児童が劣等感を持つかもということで、皆なで手を繋いでゴールという、本来の競争と言うことから完全に逸脱しています。
まあ、大人になっていきなり競争社会に放り出されるのですから、私はどうかと思いますね。
こんなみんな仲良く、助け合うという主旨の教育を子供にしているのにも拘わらず、学校からはいじめは無くならず、どんどん陰湿なものとなっていきます。
そこには、外部からのクレームがあったら二宮金次郎を座らせたり、除夜の鐘を止めてしまうという、信じられない事を当然のようにしてしまう。
それは、今の風潮が、どういうことであろうと責任を取らない事なかれ主義であるという事なのかも知れません。
だから、教師も保護者もいじめがあっても見ても見ないふりをする訳で、多分どんなことがあってもいじめは無くならないのでしょうな。
そうでなければ、福島からの避難者が転校先の学校でいじめにあっていると言う話を聞けば、ウチの学校はどうかとか、ウチのクラスの子は大丈夫かと思うのが普通でしょう。
私が親なら、学校に乗り込んで行って苛めた方や、教師を絶対に許さないと思います。
誰かが守ってやらなければ、取り返しのつかないことになります。
幼い子が自ら命を絶つことを選択してしまう、そういう悲惨な事件を繰り返してはいけません。
世界はグローバリズムを否定し内向きのナショナリズムを指向しています。
基本、自分だけが良ければいいという感覚が世界を覆っています。
誰でも自分はかわいいし、嫌なことから眼をそむけたいのです。
かといって「義を見てせざるは勇無きなり」という言葉あるように、やる時はやるという気持ちは失って欲しくないですね。