週刊柏﨑 第427回_変革の兆し

もの凄く寒くなっています。なんでもこの冬一番の冷え込みなのだそうです。朝晩はこのところ零度を下回る気温が続いていて、車のフロントガラスが凍りつくことが普通であります。相変わらず、京都特有の天気の日が多くなっています。これは晴れていたり、月が出ていても雪が降るというまさに京都人を言い表したような天候であります。正月もあっという間に終了してしまいまして、平常モードにならなくてはいけないのですが、私はいまだ正月気分が抜けません。なんせ朝起きて無意識に冷蔵庫からビールを取り出そうとしているのですから。嫁や子供達からは、「お父さんは一年中、正月みたいなもんやろ。」と言われております。それでも1月8日と、例年よりは早くQVCさんの仕事始めをいたしました。流石に午前三時と午後十一時のオンエアーというのは疲れました。画面的にはいまいちの印象でありましたが、まずまずの結果で今年もスタートをすることが出来ました。有難うございました。
皆さま、お元気でお過ごしでしょうか。
今年は娘が成人式でありました。あの訳の解らない不思議ちゃんの我が娘が、早二十歳というのですから私も歳をとるわけです。
これからは二人で焼き鳥屋あたりで一杯飲めたらと思っています。
今日の新聞の一面で「小沢一郎氏、起訴事実を全面否定」という記事が載っていました。私は別に小沢氏を擁護するわけではないのですが、はっきりいってあきれてしまいました。だってこれは無罪か有罪かを決める裁判であるのですから、否定するのが当たり前であるのです。現行犯で、罪を犯した現場を多くの人に目撃されたのならともかく、そうではない状況であるのに「お前やっただろ。」→
「はい、やりました。」なんていう裁判があるはずがないでしょう。去年、報道関係の友人から、年明け早々また小沢氏バッシング
が始まるということを聞いていたのですが、これ程くだらないことだったのかと驚いています。ここまでくると、何か恣意的な意図があると感じてしまうのは私だけでは無いと思います。
政権が変わっても、何も変わらない日本でありますが、今年もアメリカの子分的な立ち位置は変わりません。去年のTPPに続いて、イランの経済制裁にも参加する模様です。本当に不安であるのですけれども。
アメリカの有名週刊誌「タイム」が去年2011年の今年の人として「抗議する人」を選出しました。これは、去年の正月明けに、私
がケニアに出張した時にアフリカのチェニジアから始まったジャスミン革命に参加した民衆を発端にした新自由主義経済による格差社会を打ち壊そうとした人達をいいます。この後エジプト、リビアと腐敗した政権や独裁者がインターネットや伝言によって集まった
民衆によって打倒されたのです。あのリビアに長きに渡って君臨してきたカダフィ大佐の変わり果てた姿はいまだ瞼に焼き付いています。彼らの抗議活動は体制側の圧力にも屈することはなかったのです。
その流れは新自由主義の権化であるアメリカにも飛び火しました。それがニュヨーク、ウォールストリートであったデモであります。
このデモで参加者が持つプラカードに書かれているのが「1%」と「99%」という数字であります。これは1%の人が国の富をほとんど占有していて、99%の人は何も持っていない、我々はその99%だという主張であるのです。ウォールストリートはアメリカの証券取引所がある場所でアメリカ、いや世界の金融市場の代名詞のような場所であります。去年の9月に始まったデモは全米約100都市で行われ、世界中1500都市以上にひろがったのです。この流れは今年も収まることは無いと思います。
新自由主義というのは基本的には弱肉強食であります。国が経済の全てをコントロールしろとは言いませんが、民間が経済をコントロール出来るようになれば、大手=金持ちが勝つのは当たり前であります。その結果、大手=金持ちの処に富が集中し一般市民や貧困層はどこまでいっても報われないという世界になってしまうのです。日本においても、規制緩和であるとか痛みを伴う改革というのは、結果的には、一握りの勝ち組と大多数の負け組という格差社会を作り出してしまったのです。
日本でも数百人規模のデモがあったようでありますが、報道もされませんし、すぐに尻つぼみになったらしいです。間違いなく大手=金持ち=既得権者寄りであるマスコミにも問題はありますが、日本人はあまりにもおとなしいのです。これだけ国として富を所有していて、為替もこれだけ強いのに国民はほとんど恩恵にあやかっていません。
先日テレビを観ていたら、世界一裕福な国としてスイスの紹介をしていました。物価は高いですが、皆収入が多いのです。
アルバイトでさえ時給が2000円位あるのです。スイスの通貨、スイスフランも円同様高騰していますが、日本のような悲壮感はありません。むしろ自国通貨高による恩恵を受けているのです。それに日本と全然違うのは、国の富を自国の為に使っていることです。
日本は一生懸命に稼いだ富の多くをアメリカ国債を買うことで、アメリカに貢いでしまっているのです。
今年も続くであろうこのデモで格差社会が変えられるかというと、難しいというのが本音であります。北アフリカの革命のようにはいかないと思います。しかしながら間違いなく変化していくと考えています。日本人は本当にじれったいのですが、それでも橋下氏のような人が登場したように明らかに既成の物ではダメという動きが出ています。橋下氏が本物であるか、どうかは解りませんが我々は少なくともマスコミの誘導には乗らないようにしなければなりません。それに将来の日本を確かな国にしたいのなら、少なくとも日本人が現状を諦めてならないし、今を努力して生なければなりません。
日本人は昔から勤勉で礼儀正しく規律があるといわれています。その国民性は今も日本には存在しています。多難な年かもしれませんが頑張りましょう。

柏崎

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