週刊柏﨑 第294回_私の仕事歴 その3
「新型インフルエンザって何だっけ?」という位、先日までの騒動が嘘のように静まってしまいましたが、観光に依存している京都では中々元通りというようにはなっていない様です。皆様、お元気にお過ごしでしょうか?
今週初めに、とうとうと言うかやっぱりと言うか、あのGM(ゼネラル・モーターズ)が破綻しました。
負債総額が、なんと約16兆円。国が一つ吹っ飛んだようなものです。こうなってみると、日本のトヨタが今期見通しを、8,500億円という大幅赤字としたのは、アメリカに対して「GMなんて、とてもじゃないが今のトヨタでは助けられませんよ~」という言い訳の為の三味線だったのではないかと感じます。でっかいところは大変だな、と全くもって人ごとの小規模企業経営者の柏崎でございます。
先日、国会で自民党・麻生氏と、民主党・鳩山氏の党首討論が行われました。その場で麻生さんは、「今、国民の一番の関心事は、小沢さんの西松問題です」との発言がありました。まあ麻生さんは、西松建設の献金問題の説明責任のことを蒸し返したかったと思いますが、私が感じたのは、検察がなぜ小沢さんを摘発して、自民党の二階さんや他の議員を全く問題にしなかったのか?その真相をはっきりさせて欲しいということです。
私のようなノンポリの人間でも、この公平を欠いた行動に対する、説明責任が検察にはあると思います。それでなくとも、副官房長官の「献金問題の捜査は自民には及ばない」と言う発言であるとか、巷の国策調査などと言う話がある以上、その疑惑に対して、平等な法の番人である検察は、私達が納得できる理由を知らせる義務があると思います。
さて、先週の続きです。当時の私は今思ってみても、明らかに調子に乗っていたのです。
例えば、香港から台湾に出張する時の飛行機では、当然のようにビジネスクラス・ファーストクラスを使い、空港に着けばベンツSクラスのハイヤーが迎えに来ていて、高級ホテルのセミスウィートに泊る。それを、30代前半の若僧が当たり前のようにしていた訳です。(どう考えても異常でしょう)収入面でも、他業種に行った大学の同窓生達の何倍もの給与をもらっていました。
当時の仕事と言えば、台湾のお金持ちから集めたお金の運用で、今で言うディーリングをしていました。投資対象は、株式・ワラント・先物・オプションと何でもありで、バブルのおかげでパフォーマンス(運用成績)も上々でした。
はっきり言って「何か変だな」と気づいたのです。1989年の夏から秋のことです。日経ダウは毎日最高値を更新し、私の成績も絶好調でありました。
でも、何か違うのです。日経ダウは上がっているのに、よく個別の株式の価格を見てみると、ほとんどの株は上がっていない。それどころか、下降しているのです。そんなことがあるはずがないと、普通の人は思うでしょう。
しかし、これが出来るのです。でも、何の為に?今思ってみると、分かります。
実はその数年前に、日本で日経ダウの先物取引が開始されました。日本人投資家は、プロでもこの先物取引に関しては全くの素人です。しかし外国人投資家は、既に先物には何十年もの歴史があり、高等数学やFコンピューターを駆使して、論理的に投資してきます。私達の様な日本人投資家は、機関投資家であろうと彼らにとって「赤子の手をひねるよう」であったと思います。そうです。1989年の年末につける日経ダウ最高値、38,957円は、彼らがカラ売りをして儲ける為に人工的に造りあげた、張りぼての数字だったのです。後になって冷静に判断すればそうわかるのですが、熱狂の中に身を投じていた私は、少しの異変を感じていたものの、その中に身を委ねていた訳です。
1990年に入り、株式が余り上がらなくなっていたことから、私はディーリングのポジションを、より投機的であるワラントや先物にシフトしたのです。私を含めた無知な投資家は、日経ダウは4万円どころか、もしかしたら10万円などという夢を見ていたのです。それが空前の出来事によって、崩れ始めます。
暑い日だったと思います。8月、イラクがクウェートに侵攻したのです。世に言う湾岸戦争です。1990年に入り、少しずつ下降気味だった相場は、一気に大暴落します。それと同時に、私の生活も一変するのです。
次号に続く