週刊柏﨑 第293回_私の仕事歴 その2

来週はもう6月です。今年も早6ヶ月・・・半分が過ぎようとしています。過ごしやすい陽気なのですが、週初めには関東地方で暴雨があったようです。去年も書いた覚えがあるのですが、日本は確実に熱帯雨林状態に向かっていると思います。
この頃、平時と非常時という言葉を耳にする機会が多くなってきました。 今の状態はどっち?と聞かれれば、それは、非常時であるのではないでしょうか。しかしながら、頭では「ヤバい」と思っているのですが、私を含め、ほとんどの人は平時状態であるのです。
私の周りでも「ボーナスが半分になった」とか「仕事が全然無くなって大変」という話が終始聞こえてきますが、別に生活が変化したり、慌てたりしている様には見えないのです。
と言っても、新型インフルエンザに大騒ぎし、マスクを買いに殺到することが不安のシグナルなのかも知れません。そうであるならば、経済状態や将来に対する不安で、国民のほとんどが心にマスクをしているのではないでしょうか?
そう考えると、政府の出した緊急経済対策というお金の使い方には、非常時とういう大変さが全く見えないのです。要するに、危機克服のために思い切った政策を、とういより何でもありのバラマキという感が付きまとうのです。総額約15兆円のうち、約3分の1近くが官僚や公務員に流れ込むこと自体が、私には理解できません。
私が住む京都では、皆様もご存じのとおり、漢字検定協会の理事長親子が使い込み(背任)で摘発されました。協会としての経理面はハチャメチャだったものの、営業面では大したものだ、と言う他ありません。
しかしながら、私は、毎年多額の税金を使いまくり、しかも、大赤字をたれ流す天下り団体とか公共団体より、ずっとマシであると思います。
漢検も、これだけ努力して優良協会になったのですから、京都の雇用促進などにお金を使ってほしいと思います。
皆様、お元気でお過ごしでしょうか?財団法人だろうが宗教法人だろうが、儲けているなら税金は払うべきだと強く思っております、優良納税者・柏崎でございます。
さて、先週の続きですが、1985年のプラザ合意(ニューヨークのプラザホテルで開催された、当時のG5です)で話し合われた、為替レートに対する覚書による超円高誘導によって、日本は超低金利時代に突入していきます。その結果、円に投資しようとする外国人と低金利によって行き場を失った日本のお金は、不動産と株式に投入され、今でいうバブル時代を迎えます。とにかく、不動産も株も買えば上がるという感じでした。
その中で、あのNTTが民営化大企業の第1号として株式市場に上場(第1回目の売り出し分)したのです。1株約89万円で売り出されたNTT株は、あっという間に1株300万を超え、その結果、麻生首相が口を滑らせた「いかがわしいマーケット」に個人株主が津波のように押し寄せてきたのです。
私は、それまでの借金をあっという間に返済し、株式を売り買いした利益をポケットに詰め込み、毎日身の程知らずの遊びに繰り出していました。まるで、競馬場に行くように感じていて、アフター5の遊びも含めて、会社に行くのが楽しみだったなんて、多分あの頃だけだったと思います。好きこそものの上手なれ。私の営業成績は全店で1番となることもあり、本店でもちょっとした有名人になっていったわけです。
その後、アメリカのペンシルバニア大学の大学院に会社から派遣され、私の鼻は、ピノキオのようにどんどん高くなりました。アメリカから帰国後は香港現地法人に台湾の責任者として赴任した時には、私は多分本当にイヤな奴だったんだろうと思います。私はこの台湾でも、優秀社員賞を獲り、本当に順風満帆な生活を送っていたのです。
会社のオーナー会長や大蔵省出身の社長をアテンドする機会があり、そこでこの二人の2大首脳にえらく気に入られました。歯車が上手く廻っているときは、そういうものかも知れませんが、当時30代前半だった私は、40代前半で役員に就くのが現実に考えられるようになってきたのです。
「驕れるものは久しからず」。人生というのは本当に上手くできています。私達のハシャギ声を神様が、鬱陶しく感じたのでしょう。
私はあっと言う間に、奈落の底に突き落とされるのです・・・。
以下次号に続く・・・

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