週刊柏﨑 第792回 ヤオハン和田一夫氏逝く

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9月に入りました。もう、一年の三分の二は過ぎた訳でありまして、本当にあっという間ですね。ここのところの陽気は正に真夏に逆戻りでありまして、猛暑日になることも珍しくは有りません。ただ、日が暮れたりするのは確実に早くなっていまして、そういう点では季節は変化していますな。この「週刊柏崎」、今は殆ど京都に滞在していませんで、中々更新できていません。いつもこのコラムを楽しみにして下さっている心優しい皆さんには、本当に申し訳無く思っています。実は今回のコラムですが、9月9日月曜日に書いています。明日から東京に出張でありまして、金曜日まで帰って来ることが出来ません。何せ、私は完全なるアナログ人間でありまして、樋口勝平さんのように携帯で気軽にブログを更新したりすることが出来ません。9日に強力な台風が関東地方を直撃しまして、関東では始発から交通機関が運休になったりしています。被害については聞き及んでいませんが、これからは思いもよらぬ自然災害に会われることが多くなりますので、充分注意しましょう。

先ずは、8月30日QVCでの「緑のDHA,EPA&ゴールデンユーグレナ」のオンエアでありますが、急遽オンエアが変わったにも関わらず、30分程でソールドアウトとなりました。ナビゲーターもクロワールシリーズは全商品を愛用して頂いている公海さんと心強かったですし、皆さんにはお礼申し上げる次第です。大分時間が余りまして、プロポリスキャンディーを公海さんとご紹介したのですが、皆さんには上手く商品の良さをお伝え出来たか少し不安であります。

皆さん、お変わりなくお過ごしでしょうか。

実は先週、プロバイオティクスの商品の商談と、現地に作って全く使わなくなった銀行口座の整理の為に香港に出張してきました。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、香港は現在中国本土との政治的問題により大規模なデモが行われていて治安の悪化が叫ばれています。実際、香港への渡航費用は物凄く安価でありまして、京都から東京へ出張するのとほぼ変わらない位です。まあ、私は香港に前職の関係で、4年間住んでいましたし、それなりに地理に詳しいですので、結構気楽に香港に出かけました。ローカルの友人もいますしね。それでもやっぱり海外からの旅行者は少なかったです。日本人の旅行者も確かに少なかったですが、特に感じたのが中国本土からの旅行者がかなり減っていると個人的には感じました。肝心のデモですが、ウィークデイということもあって全くデモに遭遇することは無かったですし、身の危険も感じませんと言うか、いつもの安全な香港でありました。通常時と違っていたのは、帰りの飛行場に入る時でありまして、エアポート駅から香港空港に入る時にパスポートとチケットの提示を警官に求められたことです。しかしながら、本当にそれ一回切でありました。もし、現在香港に行くことをお考えで有りましたら、今はチケットも格安でありますし、ホテルは安いし、しかも空いていますから個人的にはお薦めであります。ただし、物価は昔と違ってかなり高くなっていますので気軽にブランド品やグルメ目当てに行きますと、出費には気を付けて下さいませ。(香港から帰国した後の土日に香港各地でかなり大規模なデモがありました。香港空港でも小競り合いがあったようです。香港に行かれるのはウィークデイが安全でお薦めですに、訂正させて頂きます。)今回の香港出張で1989年に初めて香港に赴任し単身で住んでいたコーズウェイベイのエリザベスハウスというフラットと嫁と娘と暮らしていたタイクウシンのベゴニアマンションというフラットを数10年ぶりに訪ねました。本当に久しぶりで、ちょっぴり涙が出ました。今の私の仕事を、あの頃の私は想像もつかないでしょうね。

和田一夫さんが亡くなりました。老衰だそうです。私が香港に駐在員として赴任していた時代に多分日本人として香港で一番輝いていた人です。1980年後半から1990年代前半にヤオハングループを率いて、本社機能を香港に移し、あの香港一の政商李嘉誠を始めとする華僑グループと対等に渡り合った企業家というか商人でありました。あの「おしん」のモデルと言われているお母さんが創業した伊豆のローカルストアの青果商八百半商店を世界のヤオハンとして、一時期16か国に430店舗を展開した正に立志伝中の人物です。香港にも多くのスーパーマーケットを展開しまして、間違いなく香港ではジャスコ(現イオン)よりメジャーでありました。私も休日には嫁と娘を連れてホンハムという場所にあった帆船をモチーフにした店舗に買い物にいったものです。香港で仕事をしていた人間は誰しも和田一夫会長とお近づきになりたくて当時コンベンションセンターにあったヤオハングループの本社に通ったものです。和田会長はある新興宗教の熱心な信者でありまして毎月定期的にその宗教の集まりを主催していました。そこには私を始めとする宗教なんぞとは無縁の不届き者が何百人と和田会長目当てに集まってきまして、その宗教の有難いお話を、あくびを噛みしめながら聞いていました。多忙な和田会長は必ず途中で退席するのですが、会長が居なくなるとクモの子を散らすように人が居なくなるのでした。本当に、あのころのヤオハングループは飛ぶ鳥を落とす勢いでして、和田一夫氏の絶頂期であったと思います。そのヤオハングループの凋落が始まったのが日本のバブルが弾けた時です。もともと、ヤオハンが海外に事業展開をしてきた理由が日本国内の流通競争が激しくなったからです。ヤオハンの力ではイオンやヨーカドー、有名百貨店にはブランド力でも資金面でも敵わなかったのです。その意味では、香港を足掛かりに中国本土に打って出たヤオハングループの考えは正しかったと思います。ただ、当時の
ヤオハングループが行っていたファイナンスは日本国内でのヤオハンの信用力に依存したものでありまして、日本のバブルが崩壊して日本のヤオハン本体の売り上げが低迷し、また日本不動産価格の暴落によっての担保不足など、資金繰りが急速に悪化したのです。その結果、和田氏率いるヤオハングループは香港から中国本土の事業展開の夢も志半ばで会社更生法適用を受けて倒産したのです。あの頃の香港のヤオハンは影も形も有りませんでしたが、日本のヤオハンはイオンが引き受け、現在はマックスバリュー東海として運営しています。あの時はバブルで眼がくらんでいて気付かなかったと思いますが、日本を完全に捨てて香港企業になっていたら、今尚ヤオハングループは香港大企業としてやっていたかも知れません。

和田一夫氏のご冥福をお祈りいたします。合掌

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