週刊柏﨑 第329回_品格と本質

今週に入って、京都はものすごく寒いです。テレビを見ていたら、東京はなんな雪が降っているみたいですね。
私の周りでは、てんで盛り上がりに欠けるバンクーバー冬季オリンピックでありますが、バンクーバーはえらく暖かいようで、街ゆく人々もトレーナーやカーディガン姿です。街中の至るところで花も咲いているようです。こんな陽気であるのですから、当然スキー場に雪が積もる訳もありません。なんでも100㎞以上も離れた場所から雪を運んできて、なんとか競技が出来ている模様であります。パウダースノーなんて夢のまた夢で、スキー場の雪の状態はさながら「赤城しぐれ」のような雪質であります。皆様お元気でお過ごしでしょうか。
ハリウッドなど映画業界やIT業界、電機業界が将来に向けて本当に期待しているのが3D映像分野です。その立体映像の技術で作られた『アバター』という映画が、業界の思惑とは裏腹に、日本ではあまり盛り上がっていない、と以前このコラムに書きました。ところがどっこい、公開されるとわずか6週間で、それまでトップだった「タイタニック」を追い抜き、興行収入記録を塗り替えました。「観る」というより「体験する」という方がこの映画にはふさわしい言い方であります。
嫁と息子がそれぞれ別々にこの映画を「体験」したのですが、3D眼鏡をして字幕を読むのがしんどいので、吹き替え版の方がいいとの話でした。また、映像の特性から、やはり端っこよりも真ん中の前方がおススメとのことです。
この3D映画「アバター」に関して言えば、普通の映画のように「DVDが出たらレンタルで見ればいいや」というわけにはいきません。家のテレビでは飛び出す映像は見れないので、嫁と息子が買った3D用メガネもあることだし、なんとか映画館で観たいと思っています。娘を誘ったら「なんでウチみたいな年頃のかわいい女の子が、お父さんみたいなおっさんと行かなあかんねん」と冷たく断られた柏﨑でございます。
さて、この頃「女性の品格」などの本がベストセラーになったりして『品格』という言葉を目にすることが多くなっています。「品格」を辞書で引くと「その人やその物に感じられる気高さや上品さ、品位」とあります。最近、スポーツ選手が「品格」という言葉で批判されることが続いています。
私はもともと勝ち負けを争うスポーツの世界において、品格というものが存在することが甚だ疑問です。その品格ということでマスコミをにぎわしたのが、あの朝青龍事件であります。皆さんご存じのとおり、大相撲の横綱であった朝青龍が一般人を殴ったことが原因で引退(辞めさせられた?)したのです。この朝青龍に対し、国技である大相撲の頂点である横綱としての自覚や品格が感じられないとして、批判していたのです。しかしながら、朝青龍を筆頭にした相撲の番付上位はほとんどが外国人であります。国技といったって、アメリカの野球やアメフトだって国技であるのです。彼ら外国人からみれば、相撲だってプロフェッショナルとしての優れた成績を残すことが求められるわけであり、土俵を下りればそれはプライベート。何をしたって、後ろに手が回らなければかまわない、と考えたっておかしくないのです。事実、朝青龍の故郷モンゴルでは、今回の引退事件では相撲協会の対応を非難する声が多かったのです。ですから、朝青龍が今に至るまでに彼に相撲の決まりを教育してこなかった方に問題があるのであって、それを国技である相撲力士の品格として処理しようとすること自体に問題があると思います。
また、甲子園においては、去年ドラフトで西武に入団した菊池雄星選手が、マウンド上で腰の位置でガッツポーズをしていたのは、高野連から手を肩より上にあげてのガッツポーズはダメと言われたから、と言っていました。本当に、私には理解できません。これも高校生の代表としての、球児の品格だそうです。
そもそも高校野球などのアマチュアスポーツで、私が信じられないのが、団体責任制度(?)であります。野球部のエースとか四番バッターが問題を起こしたのならまだしも、野球部とは関係ない生徒が問題を起こしただけで、出場辞退って信じられないと思いませんか。それをアマチュアスポーツの品格だの品位だのと言っても、当事者からみれば納得はいかないでしょう。
それは今問題になっているバンクーバーオリンピック代表の国母選手の件でも一緒です。彼の服装やヘアスタイルは、今回のオリンピックに初めて披露したわけではないし、バンクーバーにて外国からの批判も全くない状態であったというのです。
なのに、国母選手の腰パン姿の写真を引き伸ばして、わざわざ「変でしょ?」と聞いて回れば、たいていは「YES」というのですから。
これだって、本当に日本代表としての「品格」がないのなら、問題になる前にちゃんと教育すればよい話なのです。それに、各国のスノーボード選手はほとんどが国母選手みたいで、彼だけが特別とは全く感じませんでした。
スポーツの世界において「品格」という言葉で守っているのもは、変化を嫌う権威や古い考え、選手を縛る封建的な考えであると思います。
スポーツで勝利した時に喜んだり、個性的なスタイルをすることが「品格がない」とされるなら、品格がない方がよっぽど人間的であると考えます。
そして、問題になる前に注意しろよ~、というのが私の本音であります。

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