第917回  アントニオ猪木逝く

10月に入りました。9月の半ばから毎週のように台風が上陸して、各地で大きな被害を出しました。私は3週続けて週末からQVCのオンエアの為に東京に出張していまして、台風の影響で新幹線のダイヤが乱れて大変な思いをしました。特に、月末の台風15号は静岡でかつてないほどの大雨をもたらせて、新幹線がストップしてしまいました。結果大幅に予定を遅らせて、私も「こだま」で4時間以上かけて京都から東京に到着することが出来ました。今は日本だけではなく、世界各地で考えられないような豪雨が降って大きな被害を出しています。先日パキスタンではなんと国土の三分の一が冠水したといいます。

今後、豪雨の対策は非常に重要な課題であると思います。

 

9月25日のクロワールアイQのオンエアは皆さんのご支援で僅か20分でソールドアウトとなりました。

まあ、原料のフローラグロールテインとゼアキサンチンとライフズDHAEPAが、世界的に品薄で大幅に納期が遅れており、今年最後のオンエアであったことも影響しました。やっと10月末に納品の目途が立ち来年のTSVの製造を11月には出来そうで胸を撫で下ろしています。

ただ、ご存じの通り、これら原料の値上げと為替の円安はもろに製品原価に跳ね返って頭を悩ましています。

陽気は完全に秋模様でありまして、朝晩はかなり冷え込むこともある訳です。来週は更に気温は下がるという話なので、いずれにしても体調管理が難しいと思います。関心は薄れていますがコロナが収束した訳でもないですので、こちらも引き続き気を付けたいですね。

 

皆さん、お変わりなくお過ごしでしょうか。

 

「燃える闘魂」アントニオ猪木氏が亡くなりした。享年79歳、今の平均寿命からすれば早すぎる死であります。難病の「アミロイドーシス」という病に侵されていたということで、晩年の映像を見る限りはやせ細ってしまって、あのプロレスのスーパースターの面影はありません。私の少年時代は正にプロレスの虜であって、その中でもジャイアント馬場とアントニオ猪木という二人のスーパースターは燦然と輝いていました。当時は純粋だった私はプロレスこそが本当のスポーツであると信じておりまして、金曜日の夜8時から始まる三菱電機のマークが印象的なプロレス中継が何よりの楽しみでした。中学生時代は休み時間となると友人とプロレス技を掛け合っていまして、猪木の必殺技であるコブラツイストや卍固めは私の特技でした。ただ、結構しつけに厳しかった母が「プロレスなんて」というタイプで、プロレス中継を観ることを許してくれませんでした。その時間なると毎日帰りが遅かった父の部屋で隠れてプロレスを観ていました。プロレス中継は何故か毎回勝負の途中で放映が終わりまして、翌日の新聞のスポーツ欄を開いても、アントニオ猪木が勝ったかどうかという結果は載っていなくて、テレビ局に問い合わせるという赤面の行為をしたのを覚えています。

タイガージェットシンやアンドレ、ザ・ジャイアントなどとの死闘が有名ですが、私的にはブルーザー、ブロディとの死闘が一番記憶に残っています。ブロディは1988年私がアメリカに会社派遣で留学中に試合後に刺殺されたのを鮮明に覚えています。

モハメドアリや極真空手選手と異種格闘技戦を行い、常に最強であることに拘っていましたな。まあ、絶対にアントニオ猪木のようなプロレスラーは現れないと断言できます。まあ、あの予定調和で毎回決められたエンディングを迎えるプロレスをあれほど熱い情熱を持って観戦することは無いでしょうね。ただ、晩年の猪木氏は少々ゼニに走り過ぎたのが残念ですが。

心からご冥福をお祈りいたします。合掌

 

私が証券会社時代に初の海外勤務として香港駐在したのが1989年です。時正にバブル時代で日本は絶頂期であったと思います。実際、GDPはアメリカに次いで2位、そのアメリカの後ろ姿も完全に射程距離に入っていて、私も含めて多くの日本人はいずれ日本がアメリカに追いつくのではないかと感じていたはずです。「ジャパン、アズ、ナンバーワン」などという本がベストセラーになったりして、まあ、今では考えられないような時代でありましたな。海外に暮らしてみて思ったのが、とにかくモノの値段から交通インフラとか全てが安いのです。赴任当時は独身で、香港島のコーズウェイベイという新宿歌舞伎町みたいな場所に住んでいました。勤務地はセントラルという金融センターオフィス街、コーズウェイベイから地下鉄で3つ目です。毎日タクシーで通っていたのですが、代金は約120円位ですよ。マクドナルドの普通のハンバーガーが50円位兎に角ぶった曲げる程安かったです。ただフラット(マンションですな)の家賃だけは別で日本人が住むような場所では30~50万円位しました。

当時はエリアの責任者だった台湾やタイに良く行きましたが、ここが香港よりも安い、特にタイは特筆ものでしたね。まあ、これらの国の物価自体が日本に比べて安かったのですが、円が本当に強かった、要は円高の恩恵を受けていました。

それがまさか、これらの国々の人達が日本の品物は安いと爆買いするとは夢にも思わなかったです。

どこで日本は間違えたんでしょう。

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