週刊柏﨑 第314回_他人の不幸は蜜の味

寒い寒い、本当に寒くなってきました。大体私は元々こらえ性が全くない人間で、寒いだけでなく、暑いのも痛いのもかゆいのも、およそ我慢することは本当にきらいという、いわゆる「ヘタレ」なのです。それは、風邪などの病気になった際、嫁からはあまりにも大げさにしんどがるので、見ていて腹が立つといわれる程であります。
家から見える比叡山や、散歩をしている宝ヶ池の木々も段々に色づいてきて、あと半月もすれば京都は、一番の観光の目玉である紅葉シーズンとなります。京都の観光の目玉は桜と紅葉でありますが、あっという間に散ってしまう桜よりも、1ヶ月以上その色あいを楽しめる紅葉。当然その観光客の数も、秋は一年を通して一番の人出になる訳です。
それでも春から続く新型インフルエンザ問題で、私の見たところ確実に観光客は減っている様に思います。
皆様お元気でお過ごしでしょうか。
 
先日何かと話題の、ミシュランレストランガイドブックの関西版が刊行されました。
京都はやはり和食の本場、京料理を謳うほとんどの有名料理店が星を獲得しました。京都というのは皆さん御存知の通り、とても排他的な土地柄です。料理屋さんでも「一見さんお断り」という店も有って、良く言えば常連さんを大切にする、悪く言えば「知らん人はたとえお客さんでも・・・」というスタンスをとっているのです。
ですから、ミシュランガイドのような「どうぞ県外からご旅行の折に」ということを推奨する本が、京都の料理界に受け入れられるはずがないのです。しかしながら今回は、未曾有の大不況やインフルエンザ問題によって、京都の料理店にとっても今迄のスタンスを貫き通せない、要は背に腹はかえられない事情があったのです。
しかしながら京都に移り住んで10年以上になりますが、ミシュランガイドで星を獲得した京都の料理店には全く行ったことがないことを、改めて確認いたしました柏崎でございます。先日おせち料理のカタログが会社にきて眺めていたら、今回3つ星を獲得した店のおせちはなんと! 21万円ですと!!ただ驚くだけです。
 
さて「他人の不幸は蜜の味」という言葉を良く聞きます。
確かに人が儲けたとか成功したという自慢話を聞くより、逆に大損したとか失敗したという話を聞いた方が何か「ほっ」としてしまうのです。このことは、実際に科学的に解説されていて、平凡な人生を送る人にとって、大企業に就職し、高級外車を乗り回す妬ましい人物が、会社の経営危機や自動車のトラブルなどの不幸に遭遇すると、脳の中にある線条体が強く反応したというのです。
実はこの線条体というのは、おいしいものを食べた時に働く部分であって、本当に「他人の不幸は蜜の味」が実際に脳の中に起こっているというのです。ある新聞のコラムで、今、芸能ニュースで話題になっている芸能人の石田純一の結婚話にふれていて、「もし石田純一のプロポーズが失敗だったら、視聴率はずっと上がっていた」と解説していました。
それによると「不安と閉塞感に満ちた時代には大衆は不幸を求める」というものです。
思うにあのホリエモンが元気だった頃、大衆が求めたものは「あこがれ」であったと思います。セレブという言葉に代表されるように、大衆はよりよい暮らしを求め、それが何か叶うという気持ちをいだき、「あこがれ」を手に入れるために人にあこがれるという時代であったと思います。まあそれだけ景気もよく、希望が持てたということなのですが。それがホリエモンや村上ファンドが逮捕されたり凋落して、世の中に閉塞感が漂ってくると、大衆の求めるものは共感、即ち「芸能人だろうと成功した人間だろうと、挫折や悩みがある、私たちと同じ人間なんだ」という感覚であります。
この時代の閉塞感は今や未曾有の大不況となり、大衆の求めるものは安心というか、優越感に近いものに変化しているのだと思います。それは薬物により逮捕された芸能人であるとか、派遣切りやワーキングプア、これらの人たちから見れば「私はまだまし」と思うことから、「私はある意味幸せ」と安心するという感覚です。
その安心を確実に感じる為に、問題を良く知りたくなるという側面があり、それをメディアはトレンドとして感じ取っているのです。確かに石田純一の結婚話では、私より年上のオッサンが、22才も若い美人プロゴルファーと一緒になるというのですから、笑顔でVサインよりも、下を向いて涙を流す映像を見たいというのが我々オッサンの普通の意見ではないかと思います。
しかしながら私は、「万に一つの可能性であっても、第2の石田純一を目指したい」と娘に言ったら、何も答えてくれませんでした。

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