香港の変貌     週刊柏﨑 第131回

先週末の京都。私が知る限り、最高の人出でした。
あの豆大福で有名な出町柳の「ふたば」では、5重に人が並び、いつもは中にいるおばさんが、外に出て交通整理をしたというし、相続問題で、一躍有名になった、テント生地のバッグ屋さんの新規オープンは500mの列が出来て、時間制の入店だったといいます。
なにもそんなに時間をかけなくても、といったって年に1、2回しか京都に来れない方は、どうしようもないということです。
在京都の私にとっては、この様な時は、家に居るのが一番です。
(約1ヶ月、我家に手伝いに来てくれている我女房の義母さんは、この日曜、この両店ともに行ったそうです。だからこんなこと知ってます。なんでやねん!)
天気も気候もよく、まさに桜見物日和ということで、本当に桜はきれいでした。
 
さて、先週は、香港に出張してきた訳ですが、私が香港に住んでいた頃1988年~1992年と今の香港とものすごく変わったことがあります。一体何でしょう?
 
1.メガネをかけていない男性がいる。
これには、日本人は「何それ」と思うことでしょうが、私が香港に住んでいた頃の香港の成人男性は、ほぼ100%メガネをかけていました。(芸能人を除く)
香港の住宅は、ほとんどが間接照明で、その中で本とか読んでいる香港人は、ほぼ目が悪かったのです。友人のノーマン君によると、コンタクトが増えていることもありますが、5万円~10万円で、簡単に視力回復手術が受けられて、それがまた効果があるそうです。
街でメガネをかけていないのが、外国人という感じで、香港の街を歩いていた私にとって、今の香港の男性は、はっきりいって変な感じがします。
 
2.服装がすごく変わった。
私が1988年~1989年頃の香港女性は、老若にかかわらず、皆、上下ジャージを着ていて、それも後から見るとパンツのラインがしっかり出ているもので、せっかくスタイルが良く、きれいなのに「もうちょっと考えろよ」という感じだったのが、2000年頃からジャージがジーンズに変わって、今は日本よりもファッショナブルに変わっています。香港女性が恐いのは今も変わっていないみたいですけど。
 
3.日本人駐在員がものすごく減った。
なんせ、バブル後の日本は、住友BANKと三井BANKが合併したり、山一証券や拓銀がなくなったりしていることから、香港駐在員で、一番多かった金融関係の人間が、激変していることが大きな原因ですが、住宅費用が相変わらず高い(1家庭で50万~100万円)ことがネックとなっています。
だいたいタイやフィリピンに比べて、生活コストが高すぎる(日本より上)ことと、今でもワーキングビザが取りにくいことが、尚更香港から日本人が減っている要因です。
そういえば香港返還の頃(1997年)、日本にいた婚約者と別れて、香港コーズウェイベイ(香港島一の繁華街)で、美容室エステを経営していた、S.Mさん、その後ビザが更新されなくてお店を閉めたのは知っていますが、その後お元気でしょうか?(私事ですみません。)
 
まあ、まだまだあると思うのですが、私がパッと思いついた相違点です。
(シンセンの方がもっとかわってますけどネ)
でも、私として今回の香港、中国シンセンの出張で、一番驚いたのは、シンセンのレストランで火鍋 (フオグオ)を食した際、車エビ(養殖物)36匹180円という値段でした。
中国の食べ物は、まだまだ安い!
 

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