週刊柏﨑 第658回_梅雨が明けまして、私はインドに出発します。

先週末に祇園祭の前祭りのフィナーレである山鉾巡航が執り行われました。街中はもう凄い人出でありまして、祭りの中心地、烏丸四条辺りに無謀にも出かけた知り合いによると30メートル位進むのに30分以上かかったということで、まあ行くものではありませんな。祇園祭というと雨降りというイメージがありまして、実際今年も山鉾巡航までは結構な雨が降っておりました。ただ、山鉾が動き出したと同時に雨が上がりまして、大勢の見物客には良かったです。毎年、この祇園祭の前祭りが終わりますと、京都は梅雨が明ける訳でありますが、今年の梅雨は、台風が殆ど発生していないことを受けて、梅雨前線がいつまでも停滞するのではないかということで、もしかしたら、梅雨明けが月末から8月初めにずれ込むかもという話もあったのですが、あっさりと梅雨明けとなりました。ここのところは、正に夏真っ盛り状態でありまして、連日の猛暑日であります。私は私で、日曜日のテニスでレッスンプロの武藤プロとの実戦中、戦いに夢中になってネットに詰めた際、転がっていたボールを踏んで転倒し左足を捻挫してしまいまして、歩くのにも不自由しています。

という事で、皆さん、お変わりなくお過ごしでしょうか。

月末にはインドに行かなくてはなりませんから、それまでに足を治しておかなくてはシャレになりません。2011年にもマリーゴールド畑と原料工場の視察の為にインドを訪問しているのですが、その頃とはインドの入国が非常に厳しくなっています。特にビザの取得が難しくなっていて、単純な記述違いで何回も申請用紙がつっかえされまして、ようやく今週に無事ビザが下りた次第であります。

何かと色々話題を提供している東京都知事の選挙なんですが、ここにきて訳が分からんような状況になってきました。まあ、前評判は与党サイドが増田前岩手知事と小池衆議院議員に分裂してしまった事を受けて、野党統一候補の鳥越俊太郎氏が圧勝するという声が大半であったのですが、ここにきて案外接戦の様相を呈してきているようです。京都府民の私としても、元は東京に長く暮らした元東京都民であります。それなりに東京都知事選挙には注目しています。このコラムでも再三触れていますが、鳥越俊太郎氏はガンのステージ4から奇跡の生還を果たした人であります。また、ジャーナリストとしては、権力におもねることなく、常に公平な視点から政治評論をしていた反骨の人であり、私としては数少ない評価に値するジャーナリストと思っています。ただ、年齢的に76歳と言う高齢でありますので、お飾りの都知事でなく本当に都知事としての政務に励めば、かなり身体的にはしんどいじゃないかと危惧しております。しかしそれも都知事選挙を降りた宇都宮氏や世田谷区長の保坂氏(前回の都知事選挙の時に23区の区長として唯一舛添氏を支持しなかったのが保坂世田谷区長です)などをブレーンにすれば間違いなく都政は良くなると考えています。

それでも4年後にオリンピックが控えている東京は利権の塊のような処であり、簡単に与党がそれを手放す筈はなく、鳥越俊太郎氏や自民党を離党した小池百合子氏については、多分色々なことがでてくるんじゃないかと思っています。(矢張りと言うか、週刊誌に鳥越氏の女性スキャンダルが載りました。まあ、それだけ相手側は焦っているということだと思います。)昨日のテレビで鳥越氏と小池氏

増田氏の討論番組があり、小池氏に「病み上がり」と言われた鳥越氏が、その発言は重病を患いながらも職場復帰している人たちを差別していると怒ったのですが、あの小池氏の答弁は彼女の評判を落としましたな。初めは「言っていない、記憶に無い」としらを切っていたのですが、画像と発言の証拠を突き付けられたら「病気の鳥越氏を気遣った」と苦しい弁解、そして最後は「それが選挙というもの」と完全に開き直りであります。東京の自民党の闇に女一人で切り込んだという印象があり、それなりに評価に値すると思っていたのですが、何かがっかりでありますな。当選したら、自民党に戻って「そんなこと言ったっけ」と言われそうです。だってそれが選挙だからです。

さて、作家の永六輔氏が亡くなりました。それから数日、先日容態が悪化した記事が週刊誌に載って、心配していた大橋巨泉氏も亡くなりました。お二人共、昭和から平成を通して活躍された偉大な文化の発言者であったと思います。永六輔氏と言えば、直ぐに思い浮かべるのが「上を向いて歩こう」の作詞家という一面です。あの日航墜落事故で亡くなった坂本九さんが謳うこの歌は、後にも先にもアメリカのビルボードチャートで3週連続全米1位の偉業を記録した日本歌謡曲です。あの、まだまだ人種差別が普通であったアメリカで当時大人気番組のエドサリバンショーに坂本九さんが出演し日本語でこの「上を向いて歩こう」を謳ったのですからそれは画期的な出来事であったと思います。この「上を向いて歩こう」は、若かりし頃、永六輔氏が中村メイ子さんにふられた時の帰り道を思い出して創った歌詞であります。その話を聞いて中村メイ子さんをテレビなどで観るたびに、「永六輔氏のような天才は美意識が違うのだな」と思っていました。「上を向いて歩こう」はアメリカでは「スキヤキ」というとんでもない名前がついていたのですが、英訳された歌詞は「横浜の桜の下で芸者ガールの君ともう一度すき焼きを食いたい」というとんでもないものであったようです。その他にも直ぐに思い浮かぶのが「こんにちは、赤ちゃん」や「遠くへ行きたい」など教科書に普通に載っていて、平気で皆さんが口ずさむような名曲であります。実は私が永六輔氏について一番印象深いのが、あの独特な声で「咳、声、喉に浅田アメ」というコマーシャルでありました。数年前に、転んで骨折して車いすという一番気を付けなくてはならないパターンで命を縮めてしまいました。人間、歩けなくなると本当に身体の全ての機能が衰えていきます。死因の肺炎は誤嚥性ということで、気管と食道の分別弁が円滑に作動しない為に気管に食物が入ってしまうことで、細菌が肺に入り発症します。中村勘三郎氏もこの誤嚥性肺炎が原因で亡くなっています。稀代の名司会者であり様々なテレビ番組の元を作ったと言っていい大橋巨泉氏の足跡については、先日詳しくこのコラムで書きましたので、割愛させて頂きますが、「ボイン」が巨泉氏の造語であったのは知りませんでした。大橋巨泉氏の場合は、胃ガンの手術の一番の後遺症である腸閉塞で胃瘻も出来ないほど腸が痛んでしまい、殆ど食事を摂ることが出来なくなったのが亡くなった大きな原因だと思います。ガンの再発が無く、身体にガンが無い状態で、あの痩せ方は本当に痛々しく、ご本人もさぞかし無念であると思います。結果論でありますが、大橋巨泉氏は胃ガンから後の外科手術は受けるべきではなかったでしょう。最後は、医療用麻薬も使っていたようで、かなり疼痛もあったのでしょうね。永六輔氏そして大橋巨泉氏、お二人共に心からご冥福をお祈り申し上げます。天国に行かれましても、永六輔氏は野坂昭如氏や小沢昭一氏と再びトリオを結成してコンサートを、そして大橋巨泉氏は前田武彦氏やハナ肇氏とゲバゲバ90分を演じて下さい。昭和の偉人がまた去りました。永氏が83歳、巨泉氏が82歳です。私もそこまであと20年くらいしかありません。ちゃんと生きなくてはならないなと思うのですが、毎日怠惰な日を過ごしています。

ご案内していた通り、来週はオンエアー終了後にインドのバンガロールに行きます。ということで来週の週刊柏崎は休刊させて頂きます。無事に帰って、8月より再開します。行ってきます。

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