第889回 終わる時

9月も中旬なりましたが、日中はまだ真夏日なることも多いです。ただ、今の真夏日と真夏のそれとは全く違い、気温の暑さにも秋らしさが漂っています。朝晩の陽気は寒く感じる程で、犬の散歩にTシャツ、短パンで出かけると、その気温に驚きます。

まあ、今の季節は年間を通して一番過ごし易い陽気でありまして、コロナさえ無ければ今頃京都は内外の観光客で賑わっているのでしょうね。車で京都市内を走ると、ちらほら観光客を見かけますが、今や5万室を越える超供給過剰の宿泊施設やアルコールの提供が出来ない飲食店が皆潤うことは難しそうです。

皆さん、お変わりなくお過ごしでしょうか。

緊急事態宣言が効いてきたのか、毎日のコロナの感染者数が減ってきています。誠に喜ばしいことであるのですが、少々へそ曲がりの私には、何故にこんな急に減少に転じたか理由が見当たらない訳です。まあ、減ったと言っても去年から比べればまだまだかなりの感染者数ですから、気を抜けば再び増大するのは火を見るよりも明らかです。実は、私の周りを見渡せば、コロナは相当近くまで接近しています。毎朝、挨拶していた近所の奥さんと知人がコロナに感染しました。お二方共、ラッキーなことに入院出来まして、回復していますが、知人は中等症のⅡと重症化一歩手前までいきました。退院後も肺が線維化しているため、レムデシベルを服用しステロイド治療を続けるそうです。彼が言うには「コロナには絶対罹ったらダメ」ということで、ワクチンではデルタ株は防ぐことが難しいし、重症化にならない訳ではないとのことです。近所の奥さんは、入院して抗体カクテルを打ち、無症状だったみたいですが、コロナの症状も人それぞれです。まあ、罹ってからでなければ、軽く済むか、重症化するかは分からないのですから、ならないのが一番です。間違いないのは、コロナはただの風邪ではないことですな。

最近、温泉施設でのコロナ感染が広がっているようで、銭湯フリークの私としては、かなりビビっております。確かに、サウナに入りますと、ひたすら一人で熱さに耐えている人に混じって、友人同士で来た人たちがワイワイ話していたりしています。あのサウナルームという狭い空間で、密になってしかも話しているというのは前から嫌だなと感じていたことです。私は、タオルで口と鼻を覆っているのですが、どうなのでしょうかね。今のデルタ株の感染力を考えると結構無謀なことをしているのかも知れません。

この10月で66歳になる訳ですが、今の処ただ漠然と毎日を暮しています。50代の頃は、老後は勿論、死なんて考えたことも有りません。実際初めて舌ガンになった時も「死ぬ」なんて全く思わなかったし、寧ろ「喋れなくなる」とか「食べられなくなる」リスクに強く不安感が有りました。しかしながら60歳代の後半になると嫌でも自分はどういう死に方をするのだろうと考えたりするのです。今若い頃、テレビや映画で活躍していた芸能人が亡くなったり、お世話になっていた上司や先輩が亡くなっていて、死というものを現実として捉えることが多くなりました。

当然、死は怖いし、出来るならいつまでも元気で長生きしたいなと思いますが、人は必ず死にますし、それは避けられないことです。今迄、何回か全身麻酔による手術を受けたことが有ります。麻酔で意識が無くなる際に、どの位そのかすれ行く意識を我慢できるか試しました。当然、直ぐに意識が無くなるのですが、その瞬間が認識出来るのです。多分、死ぬ時はああいう感じなのだろうなと思っています。

最近、「健康寿命」という言葉をよく耳にするようになりました。私達が何歳まで生きられるかが「寿命」で、何歳まで自立して生活出来るかといのが「健康寿命」です。理想は「寿命」と「健康寿命」が一緒になること所謂「ピンピンコロリ」ですが、中々そうはなりません。この「健康寿命」、身体的に衰えることは勿論なのですが精神的に衰えることが物凄く嫌です。認知症になって人格崩壊することが怖いのです。今は、多少物忘れはしますが、問題なく皆さんと意思疎通が出来ますし、記憶もしっかりしています。ただ、高齢になるといきなり出来なくなる、実際そういう例を沢山見て来たし、身の回りにもいます。

今は嫁のお陰で、好きなことをさせて貰っています。好きなテニスやゴルフをして、ジムに行ってウェイトトレーニングと有酸素運動を続けています。まあ、昔から身体を動かすことが好きなのですが、認知症の対する予防でも有る訳ですな。

正直、余りガンに対する恐怖感を持たなくなりました。全く怖くないというと嘘になりますが、今は色々な治療法があるし、それに意識がしっかりしていて人格崩壊の心配が少ないからです。余命を宣告されたら、どのような精神状態になるか分かりませんが、最初は狼狽えても、結局終活が出来るんじゃないかと思います。残りの余生のプランニングをして迷惑がかからないようにしたいですから。まあ、余命宣告されたことが無いので分かりませんが

(私の初めてのガンの時に嫁は担当医にされたそうですが、私は知りませんでした、その後間違い)

余命宣告後は多分、好き勝手に生きても嫁や娘に怒られないと思いますし、今だったら悲しんでくれる人もいるんじゃないかと思いますね。証券マンで無茶苦茶していた頃、60歳位まで生きられたらいいなと漠然と思っていました。もうとっくに過ぎました。あっという間でしたが、長くも有り短くも有りました。

今は、天災とか人が病んでいて何で命を落とすか分からないですから、予め「この位でお迎えが来ますよ」と告げられた方がいいのかも知れません。ラオウのように天に向かって「我が人生に一点の悔いなし」とまでいかなくても、全身麻酔で落ちるように逝きたいですな。出来ればその時「ご苦労さん」と自分に言いたいです。

まあ、こんなことを言うと10歳以上年上のパピリオ稲田先生に間違いなく怒られますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

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