週刊柏﨑 第220回_フランダースの犬と滅びの美学について

今年も残すところ数日となってまいりました。23日に QVC 年内最後の放送も終わり、ボーっとした日々を送っています。色々な事があった一年でしたが、過ぎてしまえばあっという間で、なかなか満足できる過ごし方は出来ないものです。
皆様はいかがですか?
先日新聞を読んでいたら、「フランダースの犬」についての記事が載っていました。
実は私が子供の頃、親が世界名作全集なる本を買って、半ば強制的にそれを読まされたのですけれど、本を読んで初めて泣けたというのがこの「フランダースの犬」だった訳です。名作ですので、皆さんご存知とは思いますが、それこそ、この主人公「ネロ」少年は、これでもかというぐらい辛い目に合わされるのです。濡れ衣をきせられ、唯一の身内のおじいさんは死に、愛犬「パトラッシュ」も死に、そして最後にはネロも死ぬ、というまさにこれ程不幸な人はいないというぐらい世の中の不合理や厳しさを子供一人が背負わされるのです。
新聞には、日本人はこの本が大好きで、舞台となったベルギー・アントワープの大聖堂のルーベンスの絵の前では泣き崩れる日本人女性がいるぐらいだと書かれていました。(日本人から見てもちょっと不思議です。)
外国人評論家の解説では、日本人には『滅びの美学』というものがあって、信義とか友情のために敗北や挫折するのは、むしろ『崇高』なものとしてとられ、日本人にとってはネロの死に方は日本の人の価値観を体現するものだと説明されています。
だけどちょっと待って欲しいのです。
私は「フランダースの犬」の本には涙しましたが、決して好きな物語ではありません。
アメリカやヨーロッパでは、「フランダースの犬」の最後はいずれもハッピーエンドで、ネロもパトラッシュも死なないんです。私だって、「途中までネロもみんなもしんどい思いをしましたけれども、最後はみんな仲良く幸せになりましたとさ・・・」というストーリーがあるのなら、そっちの方が絶対いいと思うのです。
名作全集の中にあった、たかだかマッチを買ってあげる人がいなかったために、いたいけな少女が死んでしまう「マッチ売りの少女」を読んだ時には、『ボクは絶対にマッチを全部買ってあげる人になろう』と思ったし(何のこっちゃ)、香港に単身赴任している時に送ってもらった「火垂の墓」というビデオを見た際には、涙ながらに兄の身勝手さに憤りを覚えつつ、自分に娘ができたら「セツコ」と名前をつけて、この「セッちゃん」を幸せにしたいと考えたものです。(嫁に言ったら大反対されました。)
要するに日本人だって、『桃太郎』や『水戸黄門』みたいな、最後はやっぱり良かった安心!というストーリーが好きなのであって、別にかわいそうな結末を好むわけではないと思うのです。
ただし日本人は、ルールということは良くわきまえていて、物語がかわいそうだと言って、結末を都合良く変えたりしないということなのです。日本人は、戦時中のような『滅びの美学』なんぞは持っていないし、外国人からこんな風に思われているのだったら、しっかり反論してもらいたいのです。私も含めて日本人は、「フランダースの犬」などの悲しい物語に涙するのは心が優しく、他人を思いやる気持ちが強いからだと確信しています。

改めまして、今年一年、株式会社エーエルジャパンをご支持いただきましたこと、またこのコラムをご愛読いただきましたこと、誠に有り難く御礼申し上げます。
来年は尚一層、精進・努力(ホンマかいな)致しますので、ご指導・ご鞭撻の程、宜しくお願いいたします。
皆様もお体に気をつけて、良いお年をお迎えくださいませ。

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