週刊柏﨑 第443回 故(ふる)きを温(たず)ねて新きを知る
ゴールデンウィーク真っ盛りであります。
エーエルジャパンは基本的に休日はカレンダー通りでありますので、このコラムは5月2日、水曜日に書いています。
あいにく今日は全国的に雨模様でありますが、ゴールデンウィークの前半の先週末はとても良い天気でした。
柏﨑家は本当に久しぶりに家族で兵庫県は城崎温泉に行ってまいりました。
城崎のある豊岡は当日、全国で一番気温が高かったそうで、温度計も32℃を示していました。
城崎温泉には初めて行ったのですが、古びた温泉街っぽいところが昭和のレトロ感を醸しだしていて、それなりに風情を感じました。
関東に住んでいた時、何度かこのゴールデンウィーク期間中に旅行に出かけ、その想像を絶する渋滞に閉口して以来、原則この時期の遠出は避けていたのです。
しかしながら子供も大きくなり、多分来年は息子も東京に行くことになりそうであることを考えると、家族旅行もそうそうは行く機会も無くなりそうであります。
大渋滞覚悟の車での一泊旅行であったのですが、結構拍子抜けでスイスイとまでは行かないものの、ストレスを感じない位の行程でありました。
やはり、関東は車の量が全く違いますな。
皆さま、お変わりなくお過ごしでしょうか。
ゴールデンウィークの初日、群馬県藤岡の東北自動車道でまたまた大きな事故がありました。
金沢からディズニーランドに向かう夜行バスが高速道路の側壁に激突し多くの死傷者を出しました。
悲惨な事故が連鎖しているとしか言いようがありません。
被害に遭われた方には心からご冥福をお祈り申し上げます。
日本では昔から水と安全は無料というのが常識でありました。
しかしながら、このところ水に対しては、飲料は有料の水という人が増えているようですが、安全に対しては、日本の治安の良さと言う事もあり、まだまだお金を払って安全を買うという発想は少ないようであります。
今回、事故を起こしたバスの料金は金沢から浦安までなんと3,500円であります。
被害に遭われた方の中には、このバスの料金が一番安いから利用したという方もいるようです。
バスの運行会社は当然営利企業でありますので、3,500円という破格の料金の中から利益を得なければなりません。
金沢から東京駅まで、JR高速バスでの通常料金は8,290円であります。
8,290円という料金が適正であるかどうかは分かりませんが、3,500円というのは金沢~東京ディズニーランドを往復してなお、お釣りがくるという安さであります。
多くの人はこの料金の中に安全性や保証という、交通手段上、とても大切なコストが含まれていないことに気づいていないのではないでしょうか。
今回の事故は私達に交通手段の料金が単に移動の料金では無いということを認識させたと思います。
マスコミは盛んに、この事故を2002年に道路運送法を改正し、規制緩和した小泉や竹中のせいだ、みたいなことを言っていますが、民間に様々な門戸を開いた規制改革は基本的には正しいと思います。
ただ規制緩和により、それは混合玉石に企業が参入してきているのですから、消費者として、その業者を選択する責任があります。
この責任を政府や役所に求めるなら、今問題になっている公務員改革を望むことは出来ないと考えるべきであります。
私は飛行機やバスの料金で余りに安いものは選びません。
それは、このバス事故のようなリスクが絶対にあると考えているからであります。
これは食品などでも同様で、安いということだけが判断基準では無いのです。
後悔はしたくありません。
さて、先日なんとなく雑誌を眺めていたのですが、その中のとある詩を読んだ瞬間、不覚にも涙が止まらなくなったのです。
その詩というのが、宮澤賢治の「雨ニモ負ケズ」であります。
この詩は宮澤賢治没後、手帳のメモ書きとして見つかったもので、宮澤賢治の代表作として皆さんも良くご存じであると思います。
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雨にも負けず、
風にも負けず、
雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち、
欲はなく、
決して怒らず、
いつも静かに笑って、
一日に玄米4合と味噌と少しの野菜を食べ、
あらゆることを自分の勘定に入れずに、
よく見聞きし、
わかり、
そして忘れず、
野原の松の林の陰の小さな茅葺(かやぶき)小屋にいて、
東に病気の子供あれば、行って看病してやり、
西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を背負い、
南に死にそうな人あれば、行って怖がらなくてもいいと言い、
北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろと言い、
日照りの時は涙を流し、
寒さの夏はおろおろ歩き、
みんなにデクノボーと呼ばれ、
褒められもせず、
苦にもされず、
そういうものにわたしはなりたい。
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昔は何も感じなかったのですが、今この文章から受ける物はもの凄く大きいです。
子供頃、将来どういう大人になりたいか、という質問に対して漠然と考えていた答えが、この雨にも負けずの中に語られています。
当然こんな清貧の人になれるはずもないのですが、ある意味、私のなりたい理想像がこういう人であります。
ただ私は今、欲もあるし、しょっちゅう怒っているし、美味しい物も食べたいし、自分をしっかり勘定に入れて物事を考えています。
それでもそういう世俗的な考えは若い時に比べると、かなり減少しています。
ただ自分としてこの中の東西南北の困った人に対応する気持ちというのは、今現在、私が強く意識して心がけていることであります。
まあ本当は無意識にしなくてはならないのですけどね。
宮澤賢治は37歳で亡くなったのですけれど、その歳でこういうことが書けるというのが凄いというか、ある意味普通ではないと思います。
ただ最後の「そういうものにわたしはなりたい」というのですから、書いた時点では私みたいな人間だったかもしれません。
その可能性はかなり低いですけどね。
温故知新、昔の文章に中から、はっとするようなことがあるものです。