週刊柏﨑 第573回_証券会社勤務の時代と今の私

霜月、11月に入りました。朝晩はとても寒く、完全に冬状態であります。日中になってお日様が上りますと結構暖かく、秋の観光シーズンに突入した京都は多くの観光客で賑わっています。ここの処の円安で、海外からの所謂外人がかなり目立って多くなっているように思います。海外から主原料を調達しているエーエルは、この急激な円安でとてもしんどい状況でありまして、日々経費の削減に頭を悩ましていますが、まあ、海外からの観光のように円安の恩恵を受ける人たちがいる訳でありますから、なんとか頑張らなくてはなりませんね。

皆さん、お変わりなくお過ごしでしょうか。今年も残すところ二か月を切りました。気候の変わり目で体調を崩す人が多いようです。くれぐれもお体ご自愛下さい。私は、テニス、ジム、銭湯、たまに仕事と一年中変わりない生活を送っております。

日経平均株価が7年ぶりに17000円台を回復して久方の高値になってきたのですが、これはもう日銀のなりふり構わない量的緩和の賜物であります。日銀が何をするのかというと、簡単に言えば、「国債はこれから日銀がもっとばんばん買います。」ということと「ETFという株式の投資信託とREITという不動産投資信託も日銀がばんばん買います」ということであります。国債購入に関しては少しややっこしいので置いといて、ETFとREITの直接介入に関しては、更に年金基金の株式の購入枠を倍にするというのですから、もう国を挙げて株式と不動産の値段を高くしようとしているのですね。将来のことは誰でも予測不能であるのですが、国が近い将来までは国が買って絶対株式を高くすると言っているのですから、そりゃ株価は上がります。問題は国や年金が買った株式をどうするかということであります。

だって日本は景気が悪いし、高くなった株式をもっと高く買ってくれる人います?ということです。ということは、日銀が売ったところが天井、相場の終了ということです。私としては、この上げ相場、少なくとも私達のお金である年金基金は、調子に乗って買い上がらずにしっかり日銀とその提灯買いに冷静に年金の持ち株をぶつけて利益を出して欲しいと思います。私の感想としては、もう国はここまでして消費税を上げたいということですな。我々国民に対して、景気の指標である株価がこんなに高いのだから、消費税増税を先延ばしする必要はないということであります。この日銀の量的緩和には、日銀内でもかなりの反発があったということですが、確かに今の日銀は今までの日本の中央銀行としての役割を大きく逸脱していて、私としてはそれはもう、財務省の一部所というしかないですね。日銀がインフレを志向する政策を出すなんて、さぞかし歴代の日銀バンカーは屈辱でありましょう。ただ確実に言えることは、現在の日銀はかなりやばいことをしていて、それは対外的に中央銀行としての独立性、信頼性が揺らいでいることは間違いありません。円や国債の急落などが起きないことを切に祈ります。

 

さて、先週の続きです。本店の第一営業部の一線での毎日は、かなり刺激的であり充実したものでありました。野村など大手証券のように、相場をリードするようなスケールはありませんでしたが、取り組む銘柄には自由があり、準大手としてそれなりに相場を創っていたという自負もありました。そんな忙しい毎日を過ごしていた春先、専務に呼ばれまして打診されたのが、当時毎年一名をアメリカの大学に半年ほど留学させていた制度でありまして、「そこに行ってみないか。」というものでした。その制度には、いつも内勤者が応募しており、なんでも営業の一線の人間を派遣したいという会社の意向によるものでありました。

まあ、私の場合、英語能力は無いに等しい訳でありまして、外国にも行ったこともありません。それでもたっての話であり、私自身なにか可能性を求めたいという気持ちもありましたので、最後は自分からお願いしました。留学が決まりますと、私は営業部から国際部に配属が変わりまして、拙い英会話力を向上すべく毎日、本社がある兜町から歩いて10分程の日本橋にありました英会話教室に通いまして、外人とマンツーマンレッスンを受けることになりました。後々で専務から聞いたのですが、レッスン料が一か月40万円と相当高額な特別コースであり、それは英語の劣等生をなんとかしなくてはならない為のものであったそうで、役員会でも「あいつ行かせたら、帰ってこれんかもな。」と真剣に話し合われたそうであります。

英会話スクールが終わりますと基本仕事は終了、大体午前中でやることは無くなります。午後は東証の図書館で英語の勉強をしながら惰眠を貪るという、大学を卒業して10年、証券会社に入社して初めて時間を持て余した期間でありました。

その後、確かアメリカの独立記念日の前日、アメリカのアイビーリーグ(日本の東京六大学みたいな?)の一つでありますペンシルバニア大学に留学した訳であります。留学したのは、有名企業数十社から選抜された30歳代のエリートであります。私の場合はかなり疑問でありますが、ほぼ全員が将来の幹部候補であったと思います。ここで約半年MBAのウォートンスクールの特別聴講生として生活したのですが、本当に良い経験をさせて貰いました。このペンシルバニア大学というのは、日本と強いつながりありました。

世界各地の留学生を受け入れる寮はインターナショナルハウスといいましたが、あの渋沢栄一が寄贈したということですし、昔は野口秀世もこのインターナショナルハウスから大学に通っていたということです。ここから、日本の優秀な人間がアメリカで学問の研鑽に励んだのですが、まあ、かなり資質に格差がありますが。私もそれなりに希望に燃えたのです。結果としてたいして英会話力は上がりませんでしたが、アメリカの文化とそのスケールの大きさは垣間見ることが出来ました。そしてその反面今だ残る人種差別や極端な貧富の格差に驚いた訳であります。このアメリカ留学はまるでCMのようにあっという間に終わりましたが、それなりに私の人生に於いては大きな変革を与えたのです。帰国後香港現地法人勤務になり否応なしに英語を話す必要が出たのですが、なんとか対応出来たのは、それなりにアメリカの大学に留学したのが役立ったのかもしれませんね。私の場合、香港、台湾、タイなど東南アジアで働く機会が多かったのですが、やはり英語はビジネスの世界では共通語といってもいいと思います。それだけに、今もっと英語が堪能になっていればという後悔があることも事実であります。ただ、様々な国に行きますと、本当に日本という国の素晴らしさが分かる訳で、心優しく、勤勉で真面目な国民性や安全な治安、規則正しく時間通り動く交通機関などは絶対に日本が一番であります。当時は、海外に住みたいと考えたことがありましたが、この歳になりますと、やはり日本で老後は送りたいなと思いますな。香港では、デイーリング業務に携わり、日本株を売ったり買ったりしましたが、バブルが崩壊したこともあり結果として大きくやられました。こういう性格は、余り相場には向いていないのかも知れませんな。そして、証券界がどんどん近代的に変貌していくことに疲れて会社を辞め、再び香港で例のぼろ株ファンドなどの設立や運用に携わったのですが、時代があわなかったですし、自分にはその才能も力も無かったのかもしれません。

今は全く畑が違う事をしていますが、それでも昔の人脈が役立っていますし、あの当時のがむしゃらさが私の礎になっているのです。そう思うと、色々なことがありましたがあの証券会社勤務の時代がなければ今の私はありませんね。

柏崎

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