週刊柏崎 第863回 学生時代は貧しかったという思い出
2月も今週で終わりあと一か月もすれば桜の花も咲く訳です。毎日が暖たかったり、寒かったり正に三寒四温状態なのですが、年金受給者のおじいちゃんとしては、毎日の体調管理に気を使わねばと思っております。先日、運転していたら早咲きの桜が咲いていて、思わず車を止めて眺めていました。
私の地元京都は大阪、兵庫と一緒にコロナによる緊急事態宣言終了という事なのですが、そもそも緊急事態宣言って飲食店が早く店じまいをしたくらいで、特別それらしいことやっていたとは到底思えませんね。このところテレビで視る東京の繁華街だけでは無く、京都でも四条河原町辺りでは買い物客が溢れていて、まあ既に日常に戻っています。私が、不思議に思うのがこのところの大阪、京都、兵庫のコロナ感染者の凄い減り方、一時は東京やその近隣県と同じくらいの感染者数だったのが、今では近畿は全然少ないです。何か恣意的な感じがしないでもないのですが、生活が日常に戻ってコロナで大変な飲食や観光に携わる方々が良くなればOKであります。少々気の早い人は、GOTOトラベルを利用してゴールデンウイークの旅行の予約をしているという話ですが、心配性のおじいちゃんとしては、ワクチン接種や治療薬開発が進んでコロナの第4派が来ないように祈るだけであります。
皆さん、お変わりなくお過ごしでしょうか。今の時点でコロナ対策の希望の星であるワクチン接種ですが、既に一部医療関係者に対する接種が始まったものの、一般ピープルがいつになったら受けられるか目途が立っていません。65歳以上の高齢者は4月から接種ということですが、高齢者といっても私のような65歳になったばかりの若年高齢者と90歳、100歳という大先輩の高齢者を一緒にすることは無いと思いますので、まあ私がワクチン接種出来るのはいつのことか分かりませんね。今の処輸入出来ているのは1週間に5万人分のワクチンでして、今後政府が予定しているワクチン量が思惑通り日本に入ってくるとは考えられないのです。色々な問題で支持率を大幅に落としている菅政権にとってコロナワクチンをスムーズに国民に接種させることは、支持率挽回の為に是非とも成し遂げなくてはならないミッションです。ワクチンの接種を予定通り行い、東京オリンピック、パラリンピックを強行開催し、その後衆院解散選挙というのが政府の描いている青写真だと思いますが、個人的には相当無理があると考えます。
日本では余り報道されていませんが、アメリカのコロナでの死亡者が50万人を超えました。この一か月で10万人増と散々たる状況です。この死者数、第二次大戦、ベトナム戦争、朝鮮戦争のアメリカの戦死者数より多いのです。アメリカの株価は連日新高値となったり、産業界もGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)を始め絶好調なのですが、アメリカはこと民生ということでは非常にレベルの低い後進国と言えるでしょう。政府が国民に接種させようとしているワクチンの内ファイザー社製とモデルナ社製はアメリカのものです。ファイザーやモデルナのワクチンは臨床で90%以上のコロナ抑制効果があると言われています。現在、アメリカでは勿論この両社のワクチンが国民に使われています。確かに、ワクチンには感染を防ぐ力がありますが、薬では無いのでコロナを治すことは出来ません。ただ、コロナの状況が改善していないアメリカがこの先海外に向けてワクチンを大量に供給するか分かりませんね。
話は変わりますが、学生時代物凄く貧乏でした。中学1年の時に医者であった父を亡くし、それ以来何の目標を持つ訳で無く、ダラダラとした生活を送っていました。何とか、もぐりこんだ大学も殆ど学校に行かずに、昼夜とバイトに明け暮れていました。基本、母にこれ以上の迷惑はかけたくなかったので、学費と生活費は自分で稼ごうと考えたからです。それでもバイト代は飲み代に変わり、アパート代も払えず、友人のアパートに転がり込んで、居候していました。母や友人には本当に迷惑をかけたと思います。
その頃、流行っていたのが所謂四畳半ソングと言われたのが「神田川」とか「赤ちょうちん」などのフォークソングです。あのもの悲しいメロディーと歌詞を聞くのがとても嫌でした。あのような歌は、貧乏をしたことが無い人たちがそんな生活を美化していると思っていたのです。実際そんなキャベツばかりかじる生活してみろよと、かなり屈折した感覚を持っていいました。当時、12時過ぎにバイトが終わり、同居していた友人と銭湯に行きました。銭湯帰りに安い居酒屋で酒を飲み、公園の横の電話ボックスで当時付き合っていた彼女に電話するのが日課でした。将来自分がどうなるかなんて考えることは無く、今の生活で一杯でした。漠然と偉くなりたいとか金持ちになりたいとかいう気持ちは有りましたが、目標も持たず、努力もしない、まあクズでしたね。自分の中では、色々なバイトをして人と出会い、様々な経験をしていると勝手に自分を肯定していました。まあ、そんな生活がずっと続く訳では無く、今思えば奇跡的に大学を4年で卒業出来たのはラッキーでありました。それもこれもろくに大学に行かない劣等生の私に色々な情報やノートを提供してくれた友人無しでは絶対に無理だった話です。そういう意味では、私のとっての学生時代の財産は友人であり、今でもつき合わさせて頂いております。
私の学生時代と現在で一番何が変わったかというと、間違いなく通信手段だと思います。スマホを持てばSNSで安価でどんな時でも相手に繋がり、どんな情報でも得ることが出来る、これは本当に当時では考えられなかったことです。
学生時代、もし今のスマホがあれば、私の人生は間違いなく今と違ったものになっていたと思います。まあ、それが良いか悪いかは分かりませんけどね。