週刊柏﨑 第659回_インドにポケモンはいなかった。

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インドから無事に帰って参りました。

インドは滞在中23度〜27度と思っていたより気温が低くて、寧ろ寒いぐらいで長袖のシャツを持ってくればと思った程でありました。 ですから、日本に帰って来た途端に連日の35℃越えの猛暑日ですので、老体が悲鳴を上げそうです。 5月に51℃という、考えられないような気温を記録したインドですが、今は日本の方が確実に暑く、命の危険度も高いですな。 今迄の私の人生に於いて、一番暑いと感じたのが今頃のタイ、バンコクでありました。 1989年に私は証券マンとして香港に勤務しておりまして、出張でバンコクを訪れました。 日本人が多く居住していたスクインビットのホテルに滞在し、昼間に気軽に徒歩で付近を散策しようと外出したのですが、外に出た途端に感じた暑さは、とてもこの世の気温では無く、自分が経験したことが無いものでありました。 日陰を選びながらなんとか50メートル程進んだのですが、多分身体に備わっている命のカラーメーターが点滅して、これ以上進んだら確実にホテルに帰れなくなり、行き倒れになると私に警告したので、そのままホテルに引き返してしまいました。 やることがないので、ホテルの屋上のプールに行ったのですが、なんとプールの水が太陽光で熱湯になっていてとても入れる状態ではありません。後で聞いた話では、その時の気温が45℃であったそうで、私が経験した最高気温です。 ということで、陽気的には、かなり意気込んで行った割に拍子抜ける程だったインドでありますが、マリーゴールドの視察と言う目的に関してはかなり有意義なものであったと思っています。

皆さん、お変わりなくお過ごしでしょうか。

日本に不在の間、同じ年の千代の富士氏とピアニストの中村弘子さんが相次いでガンで亡くなりました。 相撲界ではついこの前に北の海氏がガンで亡くなったばかりでありまして、暴飲暴食と激しい稽古という身体に負担がかかることが日常である力士、引退後の生活には余程の節制が必要であります。心からご冥福をお祈り申し上げます。 また帰国した時には結果が分かっていました東京都知事選でありますが、前評判通り小池百合子氏が圧勝しました。 まあ、初めの事前予想ではブッチギリであった鳥越俊太郎氏は中盤の週刊誌スキャンダル位から急失速して増田氏にも後塵を拝し3位となりました。 まあ、鳥越俊太郎氏は経済評論家であって政治家では無かったということです。 政策も語れなかったし、はったりも利かない、結果的には政策的に最も優れていた宇都宮氏の方が候補としては良かったかも知れませんね。 ただ私個人に関してはジャーナリストとしての鳥越俊太郎氏を尊敬はしていますし、末期がんから生還したことは凄いと思っております。 それにしても酷かったのは民進党、素人の鳥越氏を何のサポートもしないで勝てると考えていたなら、最早救いようが無いです。 私が野党を応援するのは、今の与党の独裁に近いやり方に嫌気がさしているだけであります。 要は、もう少し与野党伯仲にして、政治に緊張感を持って欲しいのであって、決して野党側を進んで支持しているのではありません。 多分、私と同じような意見を持っている方はかなり居ると思います。 都知事となった小池百合子氏には、決して自民党のドロドロしたところには妥協することなく、公約で挙げた都の暗部との対決は貫いて欲しいです。 これで、小池百合子氏が何も変えられなかったらガッカリでありますし、次はありません。 少なくとも小池氏は、自民党を離党すべきだとおもいますが。

さて、インドの出張であります。

7月28日に成田を12時の全日空で出発の予定でありましたが、その日の朝7時はQVCさんでのNアセチルグルコサミンプラスのオンエアーがありまして、スケジュールはタイトであります。 QVCさんでのオンエアーの場合、オンエアー時間の1時間前からナビさんやプロデューサーを交えた放送内容の打ち合わせがありますので、オンエアー時間が7時の場合は、4時半頃に起床しまして、洗顔や着替えをして5時半位にスタジオ入りをします。 7時からのオンエアー担当は石橋ナビゲーター、若手の中で商品の勉強をとてもしているいつも一生懸命な方です。 Nアセチルグルコサミンに関しては、多分私がいなくても充分説明できる程知識を備えています。 オンエアー時間は1時間、石橋ナビと楽しくNアセチルグルコサミンプラスを皆さんに説明でき、結果も上々でありました。 8時過ぎ、後片付けをしまして、すぐ宿泊しているホテルに、成田行きのバスは8時半にホテル前を出発します。 インド行きの荷物を取り、ホテルをチェックアウト、バス乗り場に向かうと少し前にバスは出てしまっていました。 この空港行きのバスはこの辺のホテルを回って10分後に海浜幕張の駅に止まるとホテルの人から聞き、走って駅に向かい、何とかバスに飛び乗りましたが、当然私は汗だくでありまして、ほとんど寝ていないのと疲れと相まって、既にインド行きは苦痛以外何物でもないという感じであります。 成田に着きまして、フローラグロールテインのメーカーのケミン社の酒井女史とカメラマンと合流、最近の海外の不安定な状況から最後の晩餐になるかも知れないので、色々あるレストランから回転ずしを選択しまして、睡眠薬代わりのビールと回っている寿司を頂きました。 その後予定通り成田を出発し、インドムンバイ経由でマリーゴールド畑があるバンガロールに向かう訳であります。 ムンバイ迄は約8時間半、そしてムンバイーバンガロールが2時間、トランジットを併せて約13時間という長旅でありますが、わたくし何せケニアのケリチョやブラジルのアマゾンという30時間クラスの移動時間の経験がありますので、実はそんなに大変な感じはしません。 ご存知の通り以前に香港に勤務していた時、成田から香港迄4時間半位かかったのですが、当時はそれが長くて本当に手持無沙汰であったのですが、この30時間を経験してからそれがアッという間でありまして、今や12時間くらいでしたらどんと来いという感じですね。 それに今回は、嫁に懇願していつものエコノミークラスをちょっとだけ座席が広いプレニアムエコノミークラスにしてもらっていますので、いつもよりかなり快適な空の旅が出来ると思っておりました。 寝不足と日頃の疲れで飛行機に乗った瞬間に深い眠りに落ちてしまいまして、案の定、あっという間とは言いませんが、苦痛もなくムンバイに到着しました、日本とインドは時差が3時間半でありまして、まあ、さほどの時差は感じません。 ムンバイ空港は思っていたより全然大きく、入国審査から荷物を受け取るところに行くまでに大きな免税店があるという不思議な作りをしています。 インドビザを申請する時に、あれだけ大変だったので、さぞかし入国審査も厳しいとそれなりに身構えていたのですが、驚くくらいすんなりと入国出来まして、スーツケースを取って、インドムンバイに降り立ちました。 空港から見えるムンバイは、流石に多くのインド人が垣間見えるのですが、かなりビビっていた気温は夕方といえども、あの51℃というのは嘘のようでありまして、涼しいくらいであります。 ムンバイからバンガロールの飛行機は国内便でありまして、ここでは機内に持ち込む手荷物にタグを付けて、検査の度にハンコを押して貰わなければなりません。 これがかなりややっこしいのですが、ハンコがないと飛行機に乗ることが出来ません。 何だかんだあったのですがムンバイからインドスターという飛行機でバンガロールに無事つくことが出来まして、翌日からマリーゴールド畑とマリーゴールドの研究所を3日かけて回る訳であります。 久々に訪れたバンガロール空港は2011年当時とそれ程変わっていないように見えますが、空港の周りには、当時なかった大きなビルがいくつも立ち並んでいます。 天候は雨、ムンバイよりかなり肌寒く、多分気温は25度もないような感じです。 次回に続きます。 インドに入国しましてムンバイからバンガロールとポケモンは発見出来ませんでした。 週柏name.GIF

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