週刊柏﨑 第295回_私の仕事歴 その4
どうやら私の住む関西地区も梅雨に入った模様で、はっきりしない日が続いています。
我が家の犬は大の水嫌いで、雨が降っていると全く外に出たがらないのです。実はこのところ、運動不足解消の為、毎朝家のそばにある宝ヶ池公園を2kmほど犬と散歩しているのですが、雨が少し降っているだけでパートナーが外に出ないのでは、せっかく始めた運動も3日坊主で終わりそうな感じです。
今週自民党のタイゾー議員が、希望していた北海道1区での自民党公認を受けられないことから、総選挙の出馬を断念しました。小泉郵政民営化選挙で本人もビックリの国会議員になった当時の「早く料亭に行きたい」とか「BMWが欲しい」などと、トンチンカンのことを叫んではしゃいでいたことがウソのようです。
国会議員一人当たり年間約1億円かかるといいますから、あれから4年で4億円、それもタイゾー議員だけでなく、タナボタで当選した方々全てに払った訳ですから、私達納税者はたまったものではありません。気がついたら議員バッチをつけていた・・・なんていう方もいたくらいですから、考えてみれば、それだけ先の選挙は異常な選挙だったのです。
皆様お変わりございませんか?
それにしても、あの全盲のピアニスト辻井伸之さんが、バン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝したのは、久しぶりに何だか心から「よかった、よかった」と思える出来事でした。目が不自由なピアノ奏者といわれると、レイ・チャールズとかスティービー・ワンダーを思い起こしてしまうのですが、それは割りとアドリブとかが効く自由な演奏であって、正確に楽譜通り弾かなくてはならないクラシックは、その曲の長さを考えると、まさに血のにじみ出るような努力があったと思います。
そして、その演奏から伝わる表現とか感情は、彼の両親からの愛情を物語るものでありました。
彼が受賞のとき、バン・クライバーン氏に抱きしめられた映像をみたとき、思わずホロリとしてしまいました。本当におめでとうございました。それにしても辻井君といい、石川遼君といい、ボケーとしている我が息子を見ると、「勉強しないんだったらバットぐらい振れよ」と、つい小言を言ってしまう柏崎でございます。やはりトンビの子はトンビであるのが、通常であることを痛感しています。
さて先週の続きです。
本当にしんどい時にはしんどい事が重なるものです。今の世界同時不況時に、新型インフルエンザ問題が重なるようなもので、多分こういうことは今後も繰り返していくのは間違いないと思います。
当時、クウェートを攻撃するなんてことは、私達にとっては寝耳に水だったのです。こういった予想外の出来事に対して株式市場は、過剰な反応を示しました。なにせ中東の戦争は、石油が入ってこなくなるというリスクがあるからです。先週も書きましたが、投機的なポジションをとっていた私のポートフォリオは、壊滅的な打撃を受けたのです。なんせ何億円も買っていたワラント債なんて、数日でタダ同然ですよ。それからの私の仕事は、投資家に対しての説明という地獄のような毎日となりました。投資家と言っても台湾の個人事業主が主な顧客であり、その資金の大半が損失してしまったのですから。
少し前にイラクを訪れたブッシュ前大統領に靴を投げて抗議したイラク人新聞記者がいましたが、中国圏では卵を投げます。当然私はその標的になったわけで、この時ばかりは政治家の方と同じ様に病院に逃げ込み、入院したこともあります。まあ極端な話、命すら狙われたこともあるのです。
この時ばかりは身も心もボロボロの状態であり、本当に辛い時期でありました。
「山高ければ、谷深し。」株式の世界の格言は、本当に今思ってみると、深い意味を持っているのです。
その後、香港でいくらあがこうとも私が株屋の世界で浮上することはありませんでした。
そして私は逃げるように日本に帰国し、同期でトップで大店の副支店長に就任し、形の上では順調な生活を送っていたのです。しかし心の中ではポッカリ空いてしまった虚脱感はいかんともしようがなく、また毎日下がっていく相場に対して、亀のように首をすくめて生きていくことに耐えられなくなっていったのです。
私の大学の先輩の役員や、会社のオーナー会長も会社を去り、銀行に支配されたその会社では社長になることは不可能になったことで、私は退職を決意したのです。
その後再び香港に渡り、さまざまな仕事を手がけ、本当に筆舌に出来ない苦労をして今に至っております。その話はまた折を見て書きたいと思います。
最後に株屋の格言で、私が心掛けている(心掛けたい)ことばを。
「人の行く 裏に道有り 花の山」
ご精読ありがとうございました。